◆パイロット
室屋 義秀(むろや よしひで)
1973年1月27日 福島県福島市在住 奈良県生まれ
Predrag Vuckovic/Red Bull Content Pool
アジア人として初めて、そして唯一レッドブル・エアレースに参戦している“Yoshi(ヨシ)”こと室屋義秀の名は徐々に広まりを見せている。2014年、彼は自身3度目のレースシーズンに向けて、地元福島からまさに今飛び出そうとしている。
室屋のレース参戦が始まった2009年。彼はピート・マクラウド、マット・ホール、マティアス・ドルダラーら4人のルーキーのうちの一人であった。しかし、スティーブ・ジョーンズのコーチを受けるや否や、彼は急速に、かつ順調にレースパイロットとして変貌を遂げていった。
デビューの年は控えめな結果が大勢を占めたにもかかわらず、室屋は最終戦のスペインにおいて6位と言う素晴らしい結果をいきなり手中に収めた。これは優勝者であり2度のワールドチャンピオンに輝いたポール・ボノムまでわずか2秒未満と言う記録である。
Cameron Spencer / Getty Images for Red Bull Air Race
毎レース前に、室屋は仏教の瞑想術である座禅を取り入れた練習を行い、肉体と精神を落ち着かせている。これにより彼は自身の操る飛行機のポテンシャルを最大限に活用する集中力を発揮する事が出来るのである。
「レッドブル・エアレースはスピードを競うモータースポーツで、純粋なエアロバティックスとはだいぶ違う。だからパイロットも観客もわくわくする。レースは常に接戦。パイロットとしてレースを飛ぶのはとても楽しいし、特別な体験です。同じ経験ができるパイロットはそう多くはない」
室屋はポール・ボノムの無駄のない優雅な飛行スタイルに憧れているとも語り、精神面と併せ、レース中の高いGにより上手く対応できるよう肉体を鍛え続ける努力を惜しまない。
レースを行っていない間も、室屋はエアショーやトレーニングを通じて自身の操縦技術を磨いている。これまで18年の曲技飛行歴と200を超える無事故のパフォーマンスの中で、常に高いレベルのコントロールと曲技操縦技術を誇っている。
Predrag Vuckovic/Red Bull Content Pool
http://www.redbullairrace.com/en_INT/athlete/yoshihide-muroya
http://www.redbullairrace.com/en_INT/article/introducing-yoshihide-muroya より
http://www.redbullairrace.com/en_INT/article/introducing-yoshihide-muroya より
◆チームコーディネーター
ロバート・エリック・フライ
1952年2月14日 オークランド ニュージーランド生まれ
Photo by Taro Imahara/TIPP
ロバート・フライはニュージーランドの首都オークランドで生まれ育つ。
幼少の頃からヨットセーリングを開始し国内選手権では18歳にして優勝を成し遂げる。高校卒業後は2年間工業技術を専門に学び21歳で日本に留学した。
1973年より東京で食料関連の輸出入やヨット、その装備品の販売の職を得て働きはじめる。
特に自動車のセンサー部やヨットのフィッティングに使用される特殊合金の輸出入に精通し、その経験がエアレースにおいても生かされている。 上記勤務と同時にアドミラルカップなどのヨット外洋レース世界選手権にも数多く出場し、操舵手や船長としてその名を轟かせた。日本国内ではマッチレースで4度の総合優勝をかざっている。
1992~1995年の間は、ヨットレース最高峰のアメリカズカップではニッポンチャレンジチームを主導し、操舵手/ナビゲーターとしてレースに参加。引退後は“ショア・ボス”といわれる総監督として名手クリス・ディクソンを船長にむかえる手配などしてチームを強化し、また船体の整備や各種手配まで広範においてチームを支え6カ月間をサンディエゴで過ごした。
サンディエゴ滞在中の1992年に、飛行機の操縦免許を取得。自ら自作した機体で免許を取得し同時にエアロバティックスの訓練も開始。 2001年には日本で室屋とともにエアショー活動を開始し、2003年にはスホーイ29型機を導入しその活動を本格化した。
現在はニュージーランド在住。ニュージーランド国内でのエアショーをはじめ、フォーメーションチーム“エアバンデッツ”のチームリーダーとしてスホーイやヤク機を駆って世界中で活動を続けている。流暢な日本語を話し、日本人のワビサビを深く理解する。
◆テクニシャン
西村 隆(にしむら たかし)
1967年1月1日 米国・レッドランド在住 鹿児島県生まれ
Photo by Taro Imahara/TIPP
カーレースの最高峰「Formula1」に熱中しレースカー整備士への憧れをいただいて幼少期を過ごす。
整備士について色々と調べていく中で高度技術の結晶である飛行機の整備士を目指し資格取得に向けて猛勉強を開始。自ら試験飛行などを行える本格的な整備士を目指すため、まずはパイロット操縦資格の取得を目的に1988年に初渡米。その期間にアメリカの航空機事情を視察し航空整備士への決意を固める。
帰国後は日本で整備学校へ進学予定だったが、航空先進国アメリカで整備を学ぶことを決意し、カリフォルニア州コロナ空港内で勤務の傍ら整備士資格を取得。
1994年から1997年は、カリフォルニア州レッドランド空港のフライトスクールにメカニックとして勤務するなど、資格取得後は整備士として幅広い経験を積み重ねていった。
その後、別事業をこころざし1年間日本に帰国したが、空への情熱はますます強くなり再度渡米。1999年より、カリフォルニア州のレッドランド空港にメンテナンスショップをかまえて、プライベートオーナー機・フライトスクール機などを中心に整備事業会社を運営している。
Posted by Team MUROYA Racing/Red Bull Air Race